なぜ、日本人はお金の話をしたがらないのか?
なぜ、日本人はお金の話をしたがらないのか?
個人的に非常に面白いと思っています。
海外ではお金についての話題が自然だったりしますが、日本人では、ご法度だったりします。
一体なぜなのでしょうか??
それは日本の歴史を紐解くとわかってきます・・・
鎌倉時代から始まり、江戸時代に発展し、明治維新後に国民的道徳として協調された教え「武士道」
この武士道という精神が、今も日本人に根付いております。
この「武士道」とは一体なんなのか?
武士道とは武士の守るべき掟、あるいは教育された道徳的原理
とされておりました。
しかし、実際には「不言不文の語られざる掟」「書かれざる掟」として、強力な行動規範としての拘束力を持っていたということが目的だったようです。
知識という勉強ではなく、「精神」ということになります。
この時代には、職業で身分が定められており「士農工商」という身分制度がありました。
武士が一番偉く、商人が一番偉くないのです。
武士は今でも「士業」(弁護士、司法書士等)侍業といわれます。
しかし、商人という身分は武士に比べてかけ離れて下の身分だったのです。
武士は、所得を土地から得ており、自ら農業をしたりはしませんでした。
武士はプライドを持たされるような環境におり、お金の勘定やそろばんを嫌うように促される環境におりました。
では、一体なぜなのか?
「貴族を商業から遠ざけることによって富が権力者に集中することを防ぐことができる褒められるべき政策」とされていたのです。
この思想は「モンテスキュー」によっても明らかにされています。
実際に権力と富の分離は富の分配を公平に近づけることとなりました。
しかし、その代償として封建時代における日本の商業本来成長したと思われる水準まで発展しませんでした。
そればかりか商人という職業に対して侮辱的な見方をする社会の風潮がありました。
「お金の話をするなんて卑しい」という、精神が強く根付いてしまったのです。
江戸時代の武士の多くは政府や役所の役人であり私利私欲ではなく世の中や国の為と働いてきました。
しかし、江戸時代後半となると武士よりも商人の方が裕福だったという時代も出てきました。
しかし、武士道としては、「表に出さず気高く生きていくべき」という武士の美徳がありました。
そこで生まれたことわざが「武士は食わねど貴楊枝」になります。
最近の解釈ですとやせ我慢や見栄っ張りという意味にも捉えられてしまいますが
本来は、生活が苦しくとも貧しさをみせず、それを見せずに気高く生きていくべきである
という武士の美徳を表しています。
現代においてもお給料のことや資産状況について友人同士で気軽に話すということはご法度だったりすると思います。
家族でさえも、お金の話になるとシビアな空気になってしまうというご家庭もあったりすると思います。
この風潮は武士道から形成された【お金の話をするのは卑しい】という考えが現代にも残っているからなんです。
今の時代、お金と縁を切って生きていくことは不可能なはずです。
一生生きていけるだけの資産を持っている方以外は、お金について知識を得て、相談し勉強することが大切になってきます。
時代は変わります。
あっという間に・・・
時代に合わせて考え方も変えられる方が生き延びているようです・・・
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